マイナンバー始動はビジネスチャンス
笑う企業と泣く企業、詐欺防止ビジネスにも商機が
国民1人1人に12桁の番号を割り振り、税や社会保障などの行政手続きに利用するマイナンバー(共通番号)制度の導入をめぐるトラブルが後を絶たない。住民票自動交付機の設定を間違えマイナンバーが記載された住民票を発行してしまったり、誤った住所にマイナンバー通知カードを届けてしまったりと人為的なミスが相次いでいる。
国民全員にマイナンバー通知カードが行き渡るのにもまだ時間がかかりそうだ。日本郵便によれば、2015年12月中旬に初回配達を終えたものの、本人が不在だったり住所が変更されていたりして自治体に戻された通知カードはすでに500万通を超えているという。
かつてない規模の共通番号制度の導入に直面して混乱しているのは自治体や郵便局だけではない。企業とりわけ中小企業では未だに多くの経営者、担当者がマイナンバー導入に不安を募らせている。
ご承知のように、マイナンバー導入で企業はやっかいな義務を負わされた。2016年1月以降、社員の源泉徴収票を作成する時にはマイナンバーを記入しなければならなくなった。加えて収集した社員のマイナンバーを厳重に管理しなければならない。政府はマイナンバーをクレジットカード情報にも等しい重要な個人情報だと位置づけており、故意に漏洩すると罰金(200万円以下)や懲役刑(4年以下)が科されてしまうのだ。
しかしマイナンバー通知カードの配達はすでに見たように遅れている。自治体や郵便局でさえ人為的なミスを頻発しているのだから、企業とりわけ中小企業が社員のマイナンバー漏洩を完全に食い止められる保証はどこにもない。「社員のマイナンバーを洩れなく集められるだろうか」「きちんと管理できるだろうか」 ─ 経営者とりわけ中小企業経営者の嘆き節は日を追うごとに強まっている。
そんな混乱や不安を背景に今、未曽有の活況を呈しているのがマイナンバービジネスだ。
どんな企業がどんなビジネスを展開しているのか。マイナンバービジネスの隆盛は私たちの仕事にどんな影響を与えるのか。まずは具体例を見ていこう。
顔認証ソフト、高性能シュレッダーで漏洩防止
NECは得意技術である顔認証技術を売り物にマイナンバービジネスに参入、売り上げを伸ばしている。
NECはマイナンバー導入への対応が企業の経営課題となった2014年、主に売上高50億円未満の中小企業を対象に社員のマイナンバーを管理するコンピューターシステムの開発ビジネスに乗り出した。その際、コンピューターのソフトウエアが人間の顔を認識し、特定の人しかコンピューターシステムに触れられない、顔認証ソフトによるセキュリティー対策を切り札に打ち出したのだ。
企業向けのマイナンバーセミナーの開催を通して告知したところ、引き合いが殺到し、セミナーは毎回満員、システム管理の受注額は今年度300億円に達する見通しだ。東京商工リサーチの調査によれば「情報漏洩」つまり社員のマイナンバーが洩れてしまう不祥事を懸念している企業は53.3%に達する。そうした不安を巧みにすくい上げたビジネスだと言えるだろう。 一方、日立製作所は、顧客である企業に代わって社員と家族のマイナンバーを収集し、コンピューターシステムによって管理するサービスを手がけている。5000人程度の情報を収集・管理するサービスでは、料金は初期費用が約600万円、年間の委託手数料が約400万円とそれなりの価格だが、家族のマイナンバーまで洩れなく集められるだろうかと不安を抱いている中小企業の経営者は少なくない。日立製作所は商機ありと見ており、2018年度末までに累計200億円程度の売り上げを予定している。
企業が抱く情報漏洩への不安はモノづくりビジネスにも新たな需要をもたらしている。事務機メーカーのサカエは、復元が不可能な状態にまで書類を細かく切断できる高性能シュレッダーを2015年4月に発売した。なぜ「復元が不可能な状態にまで」かと言えば、切断した書類が復元され、マイナンバーが洩れてしまうのを防ぐためだ。このマイナンバー対応シュレッダー、価格は100万円を超えるタイプもある高額品だが、売れ行きは好調だ。企業のマイナンバー導入を支援するコンサルティングビジネスも盛んだ。大塚商会は100万社近い顧客企業を対象に、マイナンバーの扱い方を指導する研修の開催や、専門部署の立ち上げを指南するノウハウ提供などの支援ビジネスを始めた。「マイナンバー制度の詳細がよく理解できない」「担当部署の社員にはどうマイナンバーを扱わせたらいいのかわからない」─ そんな疑問や不安の解消を目指すビジネスで、受注状況はこちらも好調だという。
さらに家電量販店など小売りの店頭でもマイナンバー特需が生まれている。ビックカメラは2015年10月、マイナンバー関連商品の特設売り場をほぼ全店に広げた。売り場にはマイナンバーに対応する給与計算ソフトやデータを完全に抹消するソフト、シュレッダーなどを並べ、マイナンバー制度の概要をまとめたパンフレットの無料配布も行っている。ライバルのエディオンも同様の特設売り場を全店に開設した。どちらも狙いはマイナンバー対応への始動が遅れ、不安を募らせている中小企業の担当者だ。
10年に1度の特需、市場規模は1兆円に
コンピューターシステムの構築からシュレッダー、コンサルティングビジネスまで、これらマイナンバービジネスの市場規模は富士通総研の試算によれば何と1兆円にも達するという。決して大げさな数字ではないかもしれない。コンピューター関連業界の担当者たちはマイナンバー導入を「10年に1度の特需」だと見ており、「このチャンスを逃すな」が合言葉になっているのだ。
さらにマイナンバー導入に伴う混乱やトラブルは今後、ビジネスチャンスをいっそう拡大していくに違いない。周知の通り、「あなたのマイナンバーが流出して悪用される恐れがある。1万円を支払えば番号を変えられる」「5000円を支払えばマイナンバー通知カードをすぐに届ける」などと言って主に高齢者から金銭をだまし取る詐欺が頻発しており、電話の会話を自動録音したり警告メッセージを流したりする詐欺電話撃退装置や監視カメラの需要が伸びている。
今後、こうした機器も含めた詐欺対策ビジネスへのニーズが急速に拡大するかもしれないのだ。
マイナンバー導入で国家公務員が不安に
マイナンバー導入で義務を負うのは企業だけではない。実は国家公務員も新たな義務を負っている。マイナンバー、氏名、住所、生年月日が記載され、顔写真やIC チップの付いたマイナンバーカードの所持義務だ。私たち一般の国民にはマイナンバーカードの所持は義務付けられていない。所持するかどうかは自由で申請した希望者のみに配布される。これに対して国家公務員については、マイナンバーカードを身分証として使う準備が各省庁で進められている。今の身分証はいずれ使えなくなり、マイナンバーカードを所持しないと省庁の建物に入れなくなってしまうのだ。
内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室によると、2016年4月以降、今の身分証から順次切り替えていく予定で、例えば約3 万2000人の職員を抱える厚生労働省では本省が6月以降、出先機関が2016年度中に身分証を全てマイナンバーカードにするという。
マイナンバーカード取得義務化に対して、不安を募らせる国家公務員は少なくない。「個人情報が詰め込まれた大事なカードを首からぶら下げて歩いて大丈夫だろうか」「落としたり、机に置き忘れたりしたら簡単に個人情報を見られてしまう。普通ならマイナンバーカードを大事にしまっておくはずなのに……」といった声があちこちから聞こえてくる。
こうした不安を払しょくするため、内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室は、マイナンバーカードを専用のカードケースに差し込み、マイナンバーや住所を隠すようにするとのことだが、実はこの専用のカードケースが曲くせもの者だ。
「なりすまし」による詐欺を誘発しかねないのだ。各省庁が使うのと同じデザインのケースにマイナンバーカードを差し込めば、国家公務員の身分証ともはや見分けはつかない。年金事務所や税務署の職員になりすまして、高齢者を訪問する詐欺行為を誘発するリスクは十分にある。
国家公務員に対してマイナンバーカードの所持を義務付けた最大の理由はマイナンバーカードの普及だ。マイナンバーカード取得熱は全く盛り上がっておらず、内閣府が2015年7月に行った世論調査では「マイナンバーカードの取得を希望しない」と回答した人の割合は25.8%で「取得を希望する」と回答した人の24.3%を上回った。国家公務員の取得義務化は率先垂範によってマイナンバーカードを普及させようとする試みに他ならないが、犯罪誘発のリスクにどう対応するのか、政府はまだ明確な方針を打ち出していない。
個人の不安解消ビジネスに商機が
このままだと2016年、マイナンバーをめぐる詐欺被害の防止が重要な課題になるに違いない。詐欺に遭わないための機器やシステムの需要は格段に高まっていくはずだ。詐欺グループの電話番号や声紋をデータベース化して、該当する番号や声の持ち主には警告を発したり、顔認証ソフトを活用して訪問者が詐欺グループの一員かどうかを判断したりする技術もより強く求められるようになっていくだろう。不安が募るほど、不安解消ビジネスへの需要が高まるのは自然な流れだからだ。
だとすれば、セキュリティー技術の重要性はいっそう高まるに違いない。高齢者の不安を吸い上げるためのコミュニケーションのスキルもまた営業担当者はもちろん製品開発に携わる人材にも必要になっていくだろう。
悪質な詐欺から高齢者などを守るビジネス
─ マイナンバー導入はその離陸を加速するに違いない。