クラブ・サークル活動など

「3ヶ月連続ウルトラマラニックチャレンジ」第1回/テクノプロ・IT 福岡RC ~橘湾岸スーパーマラニック273 2022 春のステージ大会~

テクノプロ・グループの「社内クラブ・サークル活動サポート制度」は、従業員同士、家族、知友人、お客様とのコミュニケーションや交流の場として、また、日頃の運動不足解消やリフレッシュを目的として2014年7月に発足。

テクノプロ・IT社福岡支店に拠点を置く「テクノプロ・IT 福岡RC」。主に九州を中心に毎週のようにさまざまなマラソンなどに参加していましたが、コロナ禍以降マラソン大会も全く行われなくなり、活動は個々に参加できるオンラインマラソン等に限られる期間が長く続いています。それでも主催者の努力のおかげでここ九州でも少しずつ大会が再開されています。今回はそんな中行われた「橘湾岸スーパーマラニック273大会」のL部門(173km)に、「テクノプロ・IT 福岡RC」のサークルリーダーである伊丹さんが参加し、レポートが届きましたのでお届けします。

この大会が開催される長崎県は九州本土の西端に位置し、西に五島列島、北には壱岐、対馬をはじめとして島の数が日本一多い県です。島だけでなく、半島、岬、湾、入江の数も非常に多く、県の面積では全国第37位と小さい方ですが、海岸線の長さは北海道に次ぐ2番目です。
日本が鎖国時代、「出島」として唯一ヨーロッパに開かれた貿易の地であったこともあり、和洋ミックスされた町の景観が観光客の目を楽しませてくれます。さらに、世界・日本新三大夜景に認定された「長崎市の夜景」は、長崎県に訪れたら一度は行ってみたい観光スポットとなっています。

橘湾岸スーパーマラニック273大会について


この大会では長崎市内をスタートして雲仙市の小浜温泉をゴールとする55km・80km・173km・217kmの4部門が5月3日から4日の二日間に渡って行われ、自分の実力と相談しながら走るコースを選択することができます。
大会名についている「マラニック」については、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、マラソンとピクニックを合わせた造語で、参加者個人のペースで走ったり、時には歩いたりして、その行程を楽しむことを目的とするスポーツの名前です。タイムや順位を競うことはしないので、周りを気にせず一人でも仲間同士でも気軽に参加することができます。

伊丹さんのレポート

今回、私は173kmの完走を目指すL部門に出場登録しました。決められたコースを関門毎に設定された制限時間以内に走り(歩き)きればゴールとなるのですが、私自身100kmを超える大会は今回が初めてなことに加え、実は昨年末に自身の不注意で交通事故に遭い、頚椎骨折、くも膜下出血、意識不明で救急搬送され、しばらくの間入院生活を余儀なくされてしまいました。その後はろくに体を動かすこともできず体力がかなり落ちてしまっているような状況で、これで本当に完走できるのかという不安の中、できる限りのリハビリに努め、いよいよ大会当日を迎えることとなりました。

普段は大会会場までは自家用車を利用することが多いのですが、今回は完走後に運転して帰宅する自信が無いのと、GW期間中の開催で渋滞も予想されるので、JRの885系かもめ91号長崎行きを利用しました。
長崎では今年9月に西九州新幹線が開業するので、恐らくこれが私にとって最初で最後の長崎までの直通特急乗車ということになります。

 

私が指定されたスタート時間は大会1日目の16時なので、午前中に自宅を出発して、スタート前に少し長崎観光をしてきました。長崎に来て外すことのできない所といえば、やはりここ平和記念公園でしょう。このところ毎日のようにウクライナの戦争について報道されていますが、それを思うと、こうして何の心配も無くマラソン大会に参加できることは決して当然のことなのではなく、平和であることがいかに大切なことなのかについて改めて考えさせられます。

 

長崎にも被爆遺構がたくさん残されています。私が皆さんにお伝えしたいのが、この片足鳥居です。1945年8月9日の長崎への原爆投下により、爆心側の左半分は吹き飛ばされ奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残ったものです。若いときに、修学旅行の撮影アルバイトで一度訪れたことがあるのですが、初めて見たときの衝撃は今も心に強く残っています。

 

それはさておき、ついにスタートです。先ほど「私のスタート時間」と書きましたが、この大会は通常の大会とは異なり、参加者の走力によってスタート時間が細かく区切られています。私の参加したL部門では当日午前5時から数時間おきに順にスタートしており、最後に残った私たち10名ほどが一番最後のグループとなります。
このスタートの写真ですが、後ろに移っているのはゴミ袋ではないですよ。コースの中間点にあらかじめ送ってもらっておく着がえ等の荷物です。

16時スタートは10名ほどでしたが、密を避けるためとして15分前からのスタートが許されていたので、15時45分に私を含む3名だけでスタートしました。他の2人はいきなり速く、まだスタートしたばかりなのにあっという間に私だけ置いて行かれましたが、今回の私の方針は、前半は時間制限ギリギリのスローペースで走って体力を温存(さらにエイドではしっかりと給食を補給)し、とにかく完走を目指すこととしているので、一人になっても慌てずマイペースで進みます。

スタートしてすぐに、コースは三大夜景で有名な稲佐山(標高333m)の登山となります。この大会ではコースをまわった証明としてチェックポイントのキーワードを確認することになっていて、まずはこの山の頂上がその第一チェックポイントとなっています。ご覧の通り当日は快晴で景色はとてもよかったですが、制限時間も気になるので、観光はそっちのけでさっさと下山します。

 

一定の距離毎に給食(エイド)があるのは他のマラソン大会と同じですが、距離が長いだけに給食のメニューは他の大会より手厚いものとなっています。ここ「あぐりの丘」エイドではおにぎり、パンと飲み物を頂きました。
エイドに着くと先に休んでいる人がいましたが、一緒にスタートした2人ではないようです。私より後の16時に出発したとのことですが、抜かされた覚えはないので訊ねてみると、途中私がコースを少し間違えたそうで、どうやらその間に先に行ってしまっていたようです。
さらにエイドの方からの情報によると、なんと私たちが最後尾のランナーであるとのこと。大会名簿によると16時スタートの参加者は10名以上いるはずなので、まだ後ろに人がいるからもうしばらくはゆっくりでいいやと思っていた私の甘い考えはここで早速考え直しを迫られます。
(他の人はどこへ行ったのかとずっと気になっていたので、後で大会結果を確認したところ、スタート時間が繰り上げられていたり、不参加だったようです)

エイドを出発する頃には日も暮れてだんだんと暗くなってきました。準備してきたヘッドライトを装着して走り続けますが、山の中の道が続き周りには誰もおらず、一時は少しコースを間違えて進んでしまったこともあり、心細くなっていたところで、運よく先ほど出会った方に追いつきました。
なんとこの方はNHK長崎局のアナウンサー(当然ですがちゃんとNHKのホームページでも紹介されています)で、趣味で若いころからマラソンやトライアスロンをされていてるとのことです。

完全に日も暮れて辺りは真っ暗になり、進む道もさらによく分からなくなる中でしたが、幸いなことに私とこのアナウンサーの方は走るペースがほぼ同じでしたので、この後のかなりの時間を時に会話を交わしながら一緒に走ることができました。特にこの写真の長崎港に架かる女神大橋あたりでは私はけっこう疲れてきていたのですが、そういうときは先に走って導いてもらえるなど、大変心強い存在でした。

 

65km地点の恐竜博物館エイドは2日目0:00までの関門となっていますが、23:30に到着することができました。ここでの給食はミネストローネとパンと予告されていたのですが、そのパンというのがこれ(写真左)。後で調べたところ、この博物館のある「長崎のもざき恐竜パーク」の名物である恐竜(?)の肉を使った「恐竜サンド」ということで、けっこうボリュームがあったのですが、大変おいしくておかわりしてしまいました。
ところで、なぜここに恐竜博物館?と思って後で調べてみたところ、ここ長崎の野母半島には8,100万年前の恐竜の時代の地層があり、これまでにこの一帯から、多種多様な恐竜や翼竜、さらには国内初のティラノサウルス科大型種の化石も発見されているそうです。(ちなみに恐竜サンドはふつうに買うと650円でした)
NHKのアナウンサーの方は残念ながらこの次の80kmの関門で時間制限(2日目1:30)に引っかかってしまいそこでリタイアとなってしまいましたが、この制限時間はかなり厳しく、実は私も制限時間を2分ほどオーバーしてしまっていました。無理を言ってお目こぼししてもらいなんとか通過させてもらいましたが、もしこの出会いが無ければリタイアとなっていたことはまず間違いありません。別れ際にここまで一緒に走らせてもらったことへのお礼を伝えたときに、また来年も挑戦されるとおっしゃっていたので、次は是非とも完走してほしいと思います。 

その後はまた自分1人で走っていくことになったのですが、ここまで来ると既に100㎞以上走ってきているE部門(217km)の人たちに次第に追いつくようになり、前後に誰かしらいる状態となって道を間違える心配はなくなりました。
今まで出場した100kmマラソンではいつも60kmを超えたあたりでへばってしまい、足が前に出なくなっていたので、それが不安だったのですが、今回はここまでペースを抑えてきたおかげでまだ走れそうです。

 

街灯もない真っ暗な山道をヘッドライトだけを頼りにひたすら進んで行くと、ようやく夜が明けて辺りが次第に明るくなってきました。海に突き出た半島の上から陽が昇ってきていますが、これが平成新山で知られる雲仙岳のある島原半島で、ゴールはこのふもとのちょうど太陽の下あたりです。ここまでに一睡もせずに100km近く走ってきているのに、さらに70km先のあそこまで本当に行けるのかと思いながら走っていました。

 

115kmのエイドで、座っている参加者の皆さんはもうかなりお疲れの様子ですが、ここでスタート地点から送ってもらっていた荷物を受け取ることができます。夜間走行中に着用していた防寒着やライト等の必要のなくなった装備を外し、準備していた新しいシャツに着がえると気分もリフレッシュされ、少し元気が出てきたような気がします。また、ここで頂いた給食の中華がゆがまたおいしくて、3杯もおかわりしてしまったおかげで、自然と走るペースが上がりました。

 

さらに、このあたりから同じL部門で3時間前にスタートしていた人たちに追いつき始め、気持ちよく走ることができました。
…が、結局はこれが失敗でした。この20kmほどを先のことを考えずに調子に乗って走ったために、残りあと30kmとなったところで足が止まってしまい、一気にペースが落ちてしまったのです。時間が経つにつれ陽が高く昇って気温が上がり、さらにコースは山中から広大なジャガイモ畑や海岸沿いに移って日差しを遮るものも無くなり、走るにはつらいコンディションになってきます。

コース終盤には二日目の今日スタートしたばかりのS部門(55km)、M部門(80km)の元気な参加者とも合流し、それまでとはうってかわって今度は後ろから抜かれるつらい展開となってしまいました。
最後は疲労困憊で、もうこんな大会参加しないとか、横を走りすぎていく車に乗せてもらいたいとかネガティブなことばかり考えながらも、時には道行く人からの応援をもらいながらなんとか足を前に進め、16時半についにゴールすることができました。結局スタートしてからまる一日以上走り通していたわけですが、予想に反して途中眠くなることは一度もありませんでした。最後の30kmが本当につらかったので、ゴールした時はもうこの大会には絶対に出ないと思っていたのですが、数日たった今は、今回の反省を生かせば次は24時間以内で走り切ることができるんじゃないかとか考えています。
この大会の参加者名簿には年齢も記載されているのですが、L部門でも60代、70代の参加者が多くみられ、中には80歳という人もいました。173kmは走るにはちょっと長すぎですが、私も今後年齢を重ねてもこのような大会に出ることができるような体力を維持していきたいと思います。
最後に、入院中に少し体重が増えてしまったため減量を心がけているところでしたので、173kmも走ってどれだけ体重が落ちたかと期待していました。帰宅して早速体重計に乗ると…走る前と全然変わっていませんでした。スタートからゴールするまでに1万キロカロリー以上消費しているはずですが、エイドで給食をたくさん頂いたおかげで体力だけでなく体重も維持されてしまったようで、今回これが一番ショックなことだったかもしれません。

(2022.05.07)

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